こんにちは、アキです。
いきなりショッキングな画像、失礼いたしました。
photo by Artur Tumasjan
今回は肉食について考えていきたいと思います。
突然ですが、あなたは
長い歴史を振り返ってみても日本人は古くから穀物と野菜、魚介類などを食してきた経緯がある。よって日本人の身体には肉食は適していない。
このなような話を聞いたことはないでしょうか。
独学ではありますが、私はこれまで食についていろいろ学ぶ中で、マクロビオティックやベジタリアン、ヴィーガンなどにも触れてきました。
個人的にはこれらの思想はそれぞれ尊重されるべきだと認識していますが、私自身はマクロビアンでもベジタリアンでもヴィーガンでもありません。
私が行き着いたのは、善悪ではない、0か100ではないところ。
「それぞれいいところあるよね~でも私はこっちの方がいいな~」的なゆるいところでした。
現在の私のライフスタイルで実践しているものを箇条書きにしてみます。
・なるべく近隣の地域で収穫された、季節ごとの食べものを食べる 。
・野菜・穀物・豆類などの農産物は有機農法や自然農法のものを選ぶ。
・野菜の皮は極まれに作るメニューによっては剥くこともあるがほぼ剥かずそのままいただく。
・可能な限り食品添加物を避ける。
・塩は天然塩を、砂糖は精製されていない甜菜糖や黒糖、きび糖などを使用する。
・市販の食品は素材以外ほとんど買わない。
・作れるものは自分で作る。
・外食はめったにしない。する際は場所を選ぶ。
・野菜は極力水にさらさず、またアクもよほどじゃない限り取らない。(肉のアクは別)
・牛肉はめったに食べず、食べるときは質のよいものを少量。
・豚肉や鶏肉は使うが脂身の少ないものを選ぶ。また使用量は少量にとどめる。
・卵は平飼いの卵を選び、過剰摂取はしない。
・大豆たんぱくなど肉もどきは摂取しない。
・調理に使用する水は岐阜県の大垣市の天然水を使用。
・乳製品は遺伝子組み換え飼料を与えていない、産地がはっきりとした原料のみを使用する。
・酢・しょうゆ・みそ・みりんなどの調味料は昔からの製法を守り食品添加物を使用せず丁寧に作られたものを選ぶ。
・出汁には鰹節・いりこ・昆布・椎茸などなんでも使用する。
・魚介類はなるべく近場の天然のものを選ぶ。
・米は玄米にこだわらず精米された白米を中心としている。玄米など精製度が低いものは有機農法米なら良いがそうでないなら近場の白米の方がいいと考えている。
・氷は常備しておらず一年を通して氷の入った冷たいものを摂取しない。
・基本的に常温水を飲んでおり、時折オーガニックルイボスティや三重県の緑茶・オーガニック紅茶・オーガニックコーヒーも飲む。
・コーヒーは家ではノンカフェインオーガニック。
・お酒はオーガニックワイン・原料がはっきりしている日本酒・焼酎を主に飲んでいる。(少量)
・炭酸は水・ジュース・お酒問わず飲まない。(好きじゃない)
今思いつくものをざっと挙げるとこんなところだろうか。
これを見て、「うわぁストイック!」と感じる方もいれば、「へ~そうなんだ」という方もいると思います。無理してやっていることは何一つとしてなく、自然と行き着いた先がここってのが正直なところです。
これはあくまでも現段階の私であり、この先どうなるかはわかりません。
話は戻り、日本の肉食の歴史と食肉禁止令についてですが、弥生時代に稲作文化が確立する以前の縄文時代の日本人は木の実を集め、魚や貝を獲り、狩猟しながら暮らしていました。
縄文時代の遺跡から当時、狩りに使ったとみられる矢じりや斧などの石器、鹿や猪などの動物の骨もたくさん見つかっています。 このことから、その頻度はとても少なかったとはいえ縄文時代には肉食が行われていたことがうかがえます。
675年、天武天皇が初めて 「庚寅詔諸國曰 自今以後 制諸漁獵者 莫造檻 及施機槍等類 亦四月朔以後 九月三十日以前 莫置比滿沙伎理梁 且莫食牛 馬 犬 猿 鶏之肉 以外不在禁例 若有犯者罪之」 (出典:日本書紀)と、肉食禁止令の詔を出してからというもの、日本では奈良、平安、鎌倉時代に繰り返し肉食禁止令が発令されてきました。
その後、明治天皇が1872年1月1日に自らが国民に対して牛肉を食べて見せるに至るまでの実に約1200年もの間、日本では公には肉食を禁止としていました。(正式に古来の「肉食禁止令」を破棄するという詔勅が出たという記録はないようなので、日本政府の方針として、西洋化を推進するために肉食が推奨されたと考えられています。)
上述した通り、日本では長きにわたって公に肉食が認められていなかったわけですが、かといって完全に食べていなかったわけではありません。
天武天皇が発令した肉食禁止令の対象は牛・馬・犬・鶏の家畜と、猿の肉でした。
その理由は牛や馬は日々の仕事や作業の手助けをしてくれる、犬は番犬となる、鶏は時を知らせてくれる、猿は人間に似ているからだそうです。
これは主に家畜の食用を禁じたものであり、 当時もっとも食されていたであろう野生の鹿や猪は対象外でしたし、商業的な狩猟や漁労は基本的に認められていました。
また野鳥獣の肉に関しては「薬食い」と称して食べられていました。
鹿や猪はその数が多かったこと、鹿は新芽を食べ、猪は夜間に農作物を掘り起こして食べてしまうなど、農耕の妨げになるとの理由から対象外だったのかもしれません。
また、肉食禁止令内に「亦四月朔以後 九月三十日以前」とある通り、この禁止令は毎年4月1日~9月30日までの農耕期に限られていました。
肉食禁止令は本来、発令後すべての肉食を禁じるものではなく、農耕期間や不作からの回復や皇族の病の治癒を祈願するなど、問題が起きた時にのみ精進を促すものだったようです。
しかし日本では「殺生=穢れ」との認識が周知されていき、次第に4月1日~9月30日以外の全期間に渡って肉食が避けられるようになっていきました。
奈良時代以降、キジや鴨以外の肉は公ではほとんど食べられなくなったそうです。
その後、安土桃山時代ルネサンスが肉食の禁忌を解除したことによって肉食はそれまでほどタブーではなくなったものの、まだ表立って食べることははばかれた為、 江戸や大坂の町人たちを中心として密かに楽しんでいたようです。
これは猪肉=牡丹または山鯨、馬肉=桜、鹿肉=紅葉、鶏肉=かしわなどの食用隠語が残っていることからも推測されます。おもしろいですね。
このように歴史を振り返ってみても、絶対に肉は食べない!ではなく、かといって何も考えずに生命をむさぼるのはもっと違う。というところに現在の私は行き着きました。
自らが生きるために必要な分だけ、感謝していただく。
ちなみに江戸時代前期、第5代将軍徳川綱吉によって制定された 「生類憐れみの令(しょうるいあわれみのれい)」で鳥は殺生禁止に含まれなかったことから兎の肉を鳥の肉だと言い張って食べ続けた者が存在したこと、実際に皮を剥いだ兎の足は鳥の足とよく似ていたことなどから、兎は一羽二羽と数えるようになったとの説があります。
綱吉に関しては、これまで常識だと思っていた認識が、そうではなかったのかもしれないと考えさせられるエピソードがいくつもありますので気になる方は深掘りしてみてください。
私も深掘っていきたいと思います。